クセ玉と云われる1959年製のオールドレンズを入手した。栗林写真工業の《Kuribayashi C.C. Petri Orikkor 50mm F2》である。ペトリ銘の初代一眼レフではM42マウントを採用し、その後すぐに独自開発のペトリマウントに移行してしまったため、市場に出回っているM42マウントのペトリレンズの数はあまり多くはないらしい。
私が入手したものはもちろんM42マウントのものなので、マウントアダプターを介して容易にNikon DfやFUJIFILM X-E1で使用することができる。
※ペトリマウントタイプのレンズでも、比較的容易にマウントアダプターを自作して使えるらしい。気が向いたら挑戦してみるのも面白そうだ。
この年代らしくフルメタル製でサイズ感はコンパクトながら中身が詰まっているのを感じるずっしりとした感触がたまらない。サイズ的にミラーレス一眼にはよく似合う。ブラック/シルバーを基調に赤や緑の差し色を使ってお洒落にまとめているところもセンスの良さを感じる。
気になるPetri Orikkorの描写だが、今まで使用してきたどのレンズとも根本的に何かが違うのを感じる。特に、後ボケの独創性といったら “衝撃” にも近い印象を受けた。レンズ構成が、一般的なダブルガウス型の4群6枚をベースにして、3群目の貼り合せ2枚にもう1枚追加して貼り合せ3枚のレンズを採用することで4群7枚という変則的な光学設計にしたことにより生み出される特徴的な描写だとされているが、本当に油絵のような絵画タッチの言うなれば「物質的で奇妙な」後ボケが形成されて、撮影していて非常に面白い。
近代レンズのスムースでクリーミーなボケとは完全に対極にある物質感のある後ボケになる一方で、前ボケは意外と自然にボケるのが使いやすい。
オールドレンズでは色乗りがあっさり目のレンズも多いが、Petri Orikkorはかなり色乗りが良くて場合によってはビビッド気味でさえあるのが興味深い。それも相まって絵画的な印象がより一層強くなる。
それでは、クセが強めの描写しかできないのかと思えば、シチュエーションや光の捉え方を変えると、柔く繊細でハッとするようなセクシーな描写もしてくるから侮れない。
開放F2でもピント面のシャープさはあるので、絞り開放付近の被写界深度浅めで被写体を捉えつつ、物質的な後ボケも取り入れながら絵画的に構図を決めるというのが、このレンズの堪能の仕方なのだろう、と今のところは解釈している。なお、このレンズは意外にも周辺部の破綻がとても少ない。目立つ流れや歪曲も無くとても優秀な部類だと思う。
ちなみに、ペトリは当時「安かろう、悪かろう」のイメージが強かったらしい。ボケの『溶けるような滑らかさ至上主義』というのは近代レンズの開発でもその傾向があるのでそうした価値観ではペトリレンズの描写は確かに落第点かもしれない。しかし一方で、キレイ過ぎるだけの描写に胸焼けしている、退屈さを感じているユーザーも年々増加してきている印象もあり、それがオールドレンズ界隈を賑わせている理由のひとつであることは間違い無いだろう。当時は「安い粗悪品」というレッテルを貼られてしまったレンズが、時代を超えてその個性を先入観なしに見つめる眼差しに触れ、高い価値を与えられるというのは興味深い事象である。
このレンズはクセ玉と知って入手したのだが、ここまでのじゃじゃ馬だとは思っていなかったので、ポテンシャルを引き出すにはまだまだ当面は付き合い続けてクセを見抜いていく必要がありそうだ。こんなにワクワクするレンズも久しぶりである。
しばらくは、このPetri Orikkor 50mm F2ばかりを使ってしまいそうだ。