一度だけ来たことがあった奥の院に再訪。
神的な何かが在わす気配に気持ちは凛とする。
各所の小さな祠に祀られた神鏡にも長い年月が刻み込まれて深みがある。
幾千の想いを願いを受け止めてきたのだろう。そしてこれからも。
奥の院で心静かに整ったので、山を後にする。最も長い大元コースでも下りは50分程度で麓の大元公園に戻ることができた。日が傾き、もう暖かな日向もないので群れを成していた鹿さんたちの姿もまばらになっていた。
締詣の最後はもちろん大聖院参拝。
階段を上り、途中で煩悩を祓う鐘を突いてから門をくぐる。
そしていつもまず会いに行く像がある。その像の右手は親指と薬指を繋ぐ印相をしている。この印相は私が若い頃から気付くと自然にやっていた形であり、その意味などは知らぬままだが、故にこの印相を持つ像には不思議な親しみを感じてしまう。
大聖院は広大で様々な建物などがあるが、その中でも奥に隠れるように在る遍照窟は、その存在に気づかない人も多くいそうであるけれど、入らずして立ち去るにはもったいない光景が静かに待っている。
ここでは、四国八十八ヶ所霊場のお砂踏みでご利益を授かることもできるので、いつか本当の地でお遍路をしたいと考えている私としては、詣らずにはいかない場所である。
厳島にて自然の静けさと仏様の醸す空気感に包まれてしっかりと歳を締めることができた。
世界的にはやっかいな一年であったが、個人的には必ずしも悪い年ではなく、色々と考える機会や時間を得て軌道調整を行えた極めて有意義な一年であったと振り返る。