kishin 貴真

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20200828

/THINK

六時間のすゝめ

フィンランド首相にサンナ・マリン氏が就任した。マリン氏が政策のひとつとして掲げている「1日6時間労働」というワードを見た時に、「ふっ、ようやく世界が私に追いついてきたか」と思った。

私は、15年以上も前から1日を6時間ごとに分割することの有用性に気がついていた。

日本では一般的に、1日を3分割し『8時間働き・8時間遊び・8時間眠る』というのがバランスの良いことだと設定され、何故かかなり多くの人がそれを基準に日々を過ごしているのだが、これには論拠が見当たらない上に、うまく機能していないように感じたので実生活の中で色々と試していった。

その結果、『6時間働き・6時間学び・6時間遊び・6時間眠る』という4分割に辿り着いた。
心身にかかるストレスレベルがとても低く、非常にバランスの良い分割であると実感している。

特に重要なのは『学び』の部分である。
大人になるにつれて言えることなのだが、過去に身に付けた知識や技術だけで惰性で生活できてしまう現実がある。これは悪いことではないのだが成長も望めない状況と言える。

成長を望むのであれば、
─ 昨日知らなかったことを明日には知っていたい。
─ 先月出来なかったことを来月には出来るようになっていたい。
─ 去年認識できなかったことを来年には認識できるようになりたい。
という向上心が不可欠であり、そのために非常によく機能してくれるのが『~6時間学び~』である。ただし、大人の「学び」は、イコール「お勉強」ではない。だから、仕事に関係があることでも無いことでもよいし、将来必ず実を結ぶ確証があることでも無いことでもよい。

人生や感性をより豊かにするための真剣な取り組みならほぼ全て「学び」と認定して良いだろう。それが結果として、人間性を深めたり、仕事の幅を広げたり効率化につながったり、趣味にちょっとした専門性が加わったり、健康が促進されたり、子供や家族へのサポート体制がより整ったり、哲学的理解が深まったりといった何らかのプラス効果が可能性として望めること全般が「学び」と言える。

すなわち、この6時間は “未来の自分への贈り物としての6時間” なのである。

無論、職種や能力にも依るが「1日6時間労働」というのは想像以上に実現可能なものである。最初から「無理だ」と決めてしまえば過去の惰性の中でやり続けなければならないが、世界も時代も変わる中で人間だけが変化しなければ、いずれ破綻するのが約束された未来である。しかし、「やってみるか」と軽~く腰を上げて取り組み始めてみれば、それが数年後にはどこでも誰でも当たり前になっていたりするのもまた現世であるから興味は尽きない。

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