1980年代のM42マウントのオールドレンズで、当時はその描写性能の高さと等倍マクロ撮影ができるという魅力で評価が高かったという90mmマクロレンズ《PANAGOR PMC AUTO MACRO 90mm F2.8》を入手してから、かなり気に入ってよく使っている。
現代の技術で設計・製造された90mmマクロレンズを使ったことはないので比較はできないのだが、40年以上も前に作られたこのPanagorのレンズでも充分に良い写りだと思うし、私にとっては本当に魅力的なレンズで、M42マウントユーザーには是非とも使ってみてもらいたいオススメの一本である。
マウントは、M42だけではなく、ニコン、キャノン、オリンパス、ミノルタなどのバージョンも存在する。
マニュアルフォーカスのマクロレンズの場合には、マクロ領域で焦点位置の微調整がしやすいようにフォーカスリングの回転量が多めに設計されているのが常である。例えば、NikonのAi Micro-NIKKOR 55mm F2.8Sの場合、フォーカス機構はダブルヘリコイド構造となっており、その可動回転量は300度くらい、レンズ長は34mmほど伸びる。ところが、PANAGOR MACRO 90mmはその比ではない。
フォーカス機構は同様にダブルヘリコイド構造だが可動回転量は実に970度もあり2回転半以上もの可動域があるため、指先でちょろちょろ回転させるようなケチな回し方ではなく、肘から腕ごとグワンと回す感じで大胆に扱うことも要求されるが、焦点が狙った位置に近づいたら今度は指先だけでかなり繊細に微調整が可能でもあり、正に古い世代のマクロレンズらしさがそこにはある。
そこまでフォーカスリングを回転できると、当然レンズ長も異様なほどに伸びることになる。無限遠側でのレンズ長はマウント面から測って86mm程度なので、一般的な90mmレンズと大差無い訳だが、これをマクロ端まで伸ばすと176mmにもなり、その前後の状態を見ると同一のレンズとは思えない状態になってしまう、かなり変態的なレンズである。
オールドレンズの面白さのひとつとして、レンズについてあれこれ調べていると様々な逸話を目にするという点が挙げられるだろう。「人に歴史あり」と云うが「レンズにも歴史あり」である。
PANAGOR MACRO 90mmは多くの見解ではコミネ製ということでほぼ一致しているのだが、同時に、OEMレンズとして一卵性双生児とも云えるレンズが存在していると認識されている。それが《Vivitar AUTO TELEPHOTO MACRO 90mm F2.8》である。レンズ性能に関係のない表面的なカラーリングなどは異なるものの、レンズとしての光学設計は同じで、描写も瓜二つだという話を目にした。
どれくらい「描写が瓜二つ」なのか気になってはいたが、それらを明確に比較した画像などの情報は見つからなかったので忘れていたのだが、何気なくeBayでVivitar版を検索してみると、状態の悪くないものが相場より安く販売されていたので購入してみることにした。Panagor版の方は大変気に入っているので、もし本当に描写が瓜二つなのであればストック用としてVivitar版も持っていても損はないだろうということで手を出してみた。
アメリカから10日ほどで到着したVivitar版は商品説明通りで動作や光学系に問題はなく、外観も比較的良好な状態であった。早速、Panagor版とVivitar版の描写の違いを試してみる。三脚にFUJIFILM X-E1をしっかりと固定し、レンズの特性が出やすいように、複数の点光源や印刷のモアレや植物の産毛などを被写体として構成してみた。
撮影サンプルを見て分かる通り、描写の特性が同じで本当に一卵性双生児のレンズなのだと確信した。他の90mmレンズとも比較できれば更に分かりやすいのかもしれないが、一般的には、同じ焦点距離のレンズでもレンズそれぞれに空間表現の仕方や周辺域の歪み方のクセ、被写界深度のブレ、ボケの溶け方や発色の個性などがあるものだが、ここまで「同じ写真にしか見えない」結果になるとは思っていなかったので、双子検証は充分と云えるだろう。
個人的にはPanagor版のブラック&ホワイトにレッドの差し色というカラーリングの方が好みなので、これからもこちらをメインに使っていこうと考えているが、たまにはVivitar版も持ち出してあげたいと思う。
マクロ撮影は愉しい。
普段は気にも留めない所にマクロレンズを向けることで、世界の片隅に隠れた新鮮な情景を発見することができる。また、その薄い被写界深度の中で撮りたい写真を撮るために指先に神経を集中させてフォーカスリングを微調整しているひと時は、束の間のカタルシスをもたらしてくれるのである。