kishin 貴真

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VOIDISM 〜捨象主義 美と沈黙〜

  • I. 具象・抽象・捨象
  • II. 色彩と形態
  • III. 触媒としての絵画
  • IV. 絵画の意義と現代性
  • V. 作品

II. 色彩と形態

人が視覚を通して知覚するもののうち、より原初的な感覚は、形態に対するそれよりも、色彩の方だということは周知の通りである。どんな巨匠の手によるものであっても、ただ木炭でデッサンされただけのものでは強い感動にまでに至ることは稀であるが、そこに色彩が加わることで、その魅力が急激に何倍にも増幅して涙が溢れてくるほどの作品になることもあるだろう。それはそのまま、形態と色彩の持つそれぞれの影響力に比例していることを意味している。それだけ色彩には、知覚の奥深くまで瞬間的に働きかける力が備わっているということである。

そうだとすれば、『形態』を捨象して、より知覚的影響力の強い『色彩』を採るべきであろう。形態に頼ることなく、色彩のみで画面構成を行う。それが、捨象主義によって絵画芸術を成立させる唯一の道であると結論づけることができる。また、別の視点から見ても形態を捨て去ることは捨象主義には不可欠な理由がある。

ひとつは、『技術』という視点からである。絵を描く場合には、絵筆やパレットナイフなど何らかの道具を用いて絵具を画面に乗せていくわけだが、形態を描こうとすると必ずそこには意図や巧拙が同時に乗ってしまうことになる。「どこにどういう形で」と思考している時点で、それは具象や抽象絵画になってしまい、意図した画面になってしまう。つまり、形態を捨て去らない限りは捨象絵画には決して到達できないのである。

それは色彩に関しても同じではないかと思われるなら、それは鋭い指摘だといえる。確かに「どこにどんな色をどういう風に」と思考した場合には、それは捨象しているとはいえない。しかし、色を塗る場合には必ずしも思考は必要ないとすれば、或いは、思考せずに色を塗ることができる方法を見つけることができたとすれば果たしてどうだろうか。

私が試行錯誤の末に辿り着き『ストライピング』と名付けて採用している手法がそれにあたる。これは、絵筆を画面上で右から左へ、左から右へと淡々と動かす手法であり、そうすることにより画面上で絵具が偶発的に混ざり合い意図しない混色で画面が構成されていくものである。ここで重要な点は、この運動を機械的に行いながらも、あくまでも作家自身の手によるものである必要があるということで、この運動自体は極めて単調で一見すると機械的な動作であるから、そうした装置を作れば機械まかせにして制作できそうに思えるかもしれない。しかし、ストライピングに必要なのは、感性による画面との対話であり、混色の状態を本能レベルで感じながら、その反射として絵筆を動かす場所やスピード、圧力などを変化させていくことが要求されるものである。けれど同時に、そのコントロールは意図的なものにならないよう実行しなければならず、美的感覚のみに無条件に従うように、画面が求めてくる色を与えてあげるように実行しなければならない。つまり、私自身が思い描く色彩にするのではなく、画面が求めてくる色と偶発性によって生まれた色とによって画面構成が成されていくため、極端にいうなら、私自身は物理的に絵具を画面上で動かすだけで色彩決定の主導権は放棄するということである。意図は排除するが感性は排除しないことが重要で、フィジカルに描くといってもよいこの手法によって、画家の職人的技術という側面を捨象することができるようになる。

また、ストライピングの副産物的効果として、鑑賞時の自由度が向上する点も着目に価するだろう。美術史上のほぼ全ての絵画作品には天地があり、どちらが上でどちらが下であるかは展示の際に変更できない絶対要素として存在しており、逆さ向きで展示されることなど作家は決して認めることはなかったであろう。しかし、捨象主義における絵画作品においてはモティーフが描かれておらず形態もないためにそもそも天地という概念自体が消失しており、天地を逆に展示することも可能で、むしろそれを試みてもらいたい。

その時にちょっとした興味深い現象に遭遇することになる。同じ絵を単に逆さまに見ているだけであるのに、不思議とその絵の印象が変化するのである。これは、脳が視覚的に何かを知覚する時には、色彩や形態のみならず、「向き」もまた対象を認識するための重要な一要素であることを意味しており、同じ対象でも天地左右の位置関係が異なった状態では別モノとして捉えている可能性が高いことを示唆する。有名な逸話としては、抽象絵画の始祖といわれているヴァシリー・カンディンスキーが体験した『横倒しの絵』があるが、こうした現象は、次に述べる捨象主義作品の触媒としての性質にとってはその可能性を広げる結果にもつながってくる。