kishin 貴真

20160414

  /  ART

光彩陸離たるヴェネツィア

ヴェネツィアの大運河 (1908)

ひろしま美術館で開催されている『ヴェネツィア展 魅惑の都市の500年』を観てきた。

港や運河のある風景画は空気や光の流れがひときわ軽やかで観ていても心地よい。
それら多くの作品に使われているブルーグリーン系の色も、そうした雰囲気に色彩的な意味での機能を後押しする形で貢献している。グリーンは不動性の強い色で動きはない色彩だが、そこに求心的な動きを持つブルーが程よく加わることで、激しさのない穏やかで明朗な空気や時間がゆったりと流れることになる。

この展では、18世紀以前の作品も多いため必然的に宗教的な寓意画の点数も多くなっているのだが、やはり個人的な感覚としては、それよりも19〜20世紀初頭の絵画芸術の革新期の中に位置する作品群から今なお強い意志と多大なエネルギーを感じる。

とりわけ今回の展で釘付けになったのは、クロード・モネの『ヴェネツィアの大運河 (1908)』。

光を捉えることに生涯を捧げたと云ってもよいモネらしく、この作品にあるのは文字どおり、色彩ではなく光彩であり、信じられないほどの輝きに満ちている。それだけではなく、構図も素晴らしい。たった一本の木杭だけで観者を一気にその絵画世界へと引き込むことに成功している。画面内において強く暗い印象を持つ唯一の構成要素として木杭を手前に配することで、水面と遠景の光の軽やかさと鮮やかさが一層引き立つと共に、空間の深みを明確にして、その空間の最も手前に観者自身を一歩踏み込ませている。

もし、この一本の木杭がなかったとしたら…と想像してみると、空間的な深みは途端に消え失せて平面的になり、さらには、暗部とのコントラストによって生み出されている光と色の輝きも弱まることで、作品としての魅力は大幅に減退することになっていただろうことが分かる。

モネの作品を観るといつも感じることだが、眼が痛くなる。
あまりの魅力に一瞬たりともその感覚から離れようとしなくなるため、本能的に眼がまばたきすることを拒否してしまうようで、その結果、強烈に眼が乾くため気がつくと痛みに襲われている状態となっている。この現象を私は『時計じかけのオレンジ効果』と勝手に呼んでいる。

リーノ・タリアピエトラ 瓶 (1998頃)

この展でもうひとつ魅力的だったのは、リーノ・タリアピエトラのガラス作品『瓶 (1998頃)』。
この作品は写真で見て気になっていたのだが、実物の方が遥かに甘美で魅惑的だった。

ガラスという素材はイイ。
光を含んだ空気或いは水を固形化したような透明感と艶を持つ唯一の素材であるから、その魅力には他の素材とは一線を画したものがある。透明な素材としてはプラスティックもあるが、やはり違う。ガラスの透明感や艶には“生”が息づいているように思われるが、プラスティックにはその感覚はなく屍のような虚しさだけが漂っている。

ひろしま美術館の所蔵作品の中で最も好きな作品はエドゥアール・マネがベルト・モリゾをモデルに描いた『バラ色のくつ (1872)』だが、しばらくの間、他の美術館に貸し出されていたようで会えずにいた。それがようやく戻ってきたようで、今回久しぶりに観ることができて、そうした意味でも今回の展はなかなか満足できるものであった。

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