kishin 貴真

20170706

  /  ART

額縁の作用と作家の感性

額縁

大きな美術館で、巨匠の大作や膨大なコレクションを鑑賞するのは楽しいし、それは充実した時間となる。しかし、東京とは異なり地方都市では残念ながら美術館の開催する企画展は必ずしも魅力的なものばかりではないのが実情で、そうした物足りなさを埋めるため、街に点在する画廊やレンタルスペースでの個展などをふらりと覗きに行くことも多い。

こうした小さな空間での個展の主催者は大抵の場合においては作家本人だが、その幅はとても広く、荒削りな感性と生命力に溢れた若い人から人生の晩年を迎え渋い感性を携えた高齢な方、幾多の賞を受けている人気作家から初の個展を不器用に開催する学生まで本当に様々である。無論、出展される作品のレベルも実に多様であり、足を運んだことが時間の無駄にしか感じられないものも少なくないし、逆に、この作家の作品が大きな美術館で何十点も展示されている光景を観てみたいと思えるくらいに感動させられる作家に突然遭遇することも稀にだがある。

そうした多様性の中で、このところ鑑賞の際に注目している点がある。
それは、額縁である。

鑑賞という体験は環境によって大きく変化する。その一因として額縁の存在は無視できない影響力を持っている。「たかが額縁で何が変わる?どんな額縁に入れても作品は同じだろ」と思う向きもあるだろうがそんなに単純ではない。

こんな逸話がある。印象派の作品といえば今ではとんでもない市場価格で取引されているが、そのスタイルが生まれてまだ認知されずにいた頃、印象派作家と取引していた画廊のオーナーがどうすれば顧客に印象派の作品を売ることができるだろうと思索した結果、額縁を変えてみた。それまでは作家の想い通り、装飾性の無いシンプルで現代的な額縁に入れて売っていたものを、当時以前に流行していた装飾性の高い豪奢な金色の額縁に入れて売り始めたところ、興味を持って購入してくれる顧客が一気に増えた結果、アメリカでの印象派の認知度が高まり、結果として、それまで頑なに印象派の存在を拒んでいた母国フランスでも結局は逆輸入的に認める流れになっていった。

もっとも〈逸話〉なので大袈裟に表現されている部分はあるだろうし、額縁ひとつにここまで時代の流れを変える影響力は無いだろうが、額縁を変えることで画廊側が作品を売りやすくなったことは事実のようだし、額縁の存在が鑑賞体験を想像以上に変化させる作用を持っていることは確かだろう。

こうした額縁視点から個展巡りをしてみると作家の感性とのつながりも見えてくる。

作家が若い学生でおそらくは経済的にそんなに余裕はないのだろうと思われる個展では、作品が入れられている額縁もやはり、額縁屋で最安値で取り扱われているようなチープなものである場合がとても多い。経済的に余裕が無いのは仕方ない。しかし、問題はその先にあり、自分の個展で作品を入れる額縁として、見るからにチープな額縁を“良し”としてしまう感性は、残念ながら鑑賞者に対して良い印象は与え得ない。

額縁の安っぽさが作品の印象を貶めてしまうのなら、いっそのこと額縁ナシで展示したって構わない。個展だから作品は額縁に入れなくてはならないという思い込みがあるのなら、そんな考えに価値はないことを知るべきであるし、それよりも、どういう見せ方がその作品には似合うのかを的確に判断できる感性を養うことの方が重要だろう。その点、年齢を重ねた作家の場合、作品によって額縁を変える、あるいは額縁をナシにするなど、それぞれの作品に似合う展示の仕方をしている作家は比較的多いという印象がある。

逆に、額縁に入れられることなくカンヴァスが裸の状態で展示されているものの、その状態では存在として安定せずに、作品としての弱さ脆さが露呈しているケースもある。額縁とはそもそも、環境と作品との境界を明確にし、作品の存在を独立させて認識させる働きを持つものであるから、額縁ナシで展示するには必然的に、作品自体に環境から独立存在するだけの強さを内在していることが必須条件となる。しかし、その強さを持たない作品の場合には、額縁ナシでの展示には耐えられず失敗に終わってしまう。

この点を勘違いして、“良い作品は額縁ナシでも耐えられる”と思い込んでいる作家もいる。しかし、そうではない。額縁ナシでも成立する強さはあるが魅力は感じない作品もあるし、額縁に入れなければ脆すぎて危うい印象だが、けれどとても魅力的な作品というものもあるのだ。

結局のところ重要なのは、額縁の有る無しどちらにせよ、その作品に似合っているかどうかが重要であり、作品の展示に際してはその見極めを怠ってはならないのだと感じている。ポスト印象派のある巨匠も「作品は額縁に入れて初めて完成する」と指摘している。要は、作品は鑑賞される時、その作品に適した最良の環境でそれが成されることを求めているに違いないのである。

額縁という視点から作品を観るなら、ほぼ間違いのない扱いをしている大きな美術館よりも、多様な作家が多彩な感性を自在に発揮している街角の小さな画廊の方が、失敗も成功もあって興味深い。そしてこうした、作品の外側の額縁(見せ方)という部分でも的確な扱いができる感性を持っている作家の方が、作品それ自体の質も高い傾向にあるという印象を持っている。

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